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ミルトン・エリクソン-深い愛ある治療

 最近、マイミクのたかしさんの影響で(笑)
 精神科医であり、天才的な催眠の技術で、
 たくさんの患者の心を救った
 ミルトン・エリクソンの本にはまっています♪

 そのなかでの愛ある一節をご紹介したいと思います。
 人によっては、この内容がちょっと不快に思われるかもしれませんが・・・

 以下、『ミルトン・エリクソン入門*金剛出版』P133からの抜粋。

*******************************

 次の症例も、(患者の)力や動機にアクセスする例である。エリクソンは、それが治療を進めると思えば、どんなことでも、たとえそれが患者を怒らせるようなことであっても、喜んでそれを行ったようである。

 別の州からやってきたある女性が、夫を連れて治療を受けに来た。 夫は非常に誇り高い人であるのだが、発作が起こって以来、まったく何もできない人になってしまっていた。 発作前は、会社を経営するなど、自分で何でもする人だったが、発作後は、身体を動かすことも難しく、話もまったくできなくなっていた。 また治療費がかさみ、そのため会社や財産を手放していた。 彼は1年以上、大学病院に入院していたが、そこで“見込みのない症例”の教材として扱われ、屈辱感にさいなまれ続けていた。 ある医師が、リハビリテーションとして催眠がよいかもしれないということで、二人にエリクソンを紹介したのである。

 エリクソンはまず妻と面会した。 妻は、主人は自尊心が強くて、人の命令に従いたがらない人だ、と語った。 エリクソンは彼を招きいれ、「あなたは施しもののベッドに寝て喜んでいるようなナチの豚やろうだ(男はドイツ系だった)」としゃべり始めた。 そして、「もっと侮辱してあげるから、毎日奥さんにここに連れて着てもらいなさい」と言った。

 男は怒り心頭に発して、「いやだ!」と叫び、一人で部屋からもがき出ていってしまった。 困惑しながらも妻は、毎日夫をエリクソンのオフィスまで連れて来て、そこでエリクソンは侮辱的な言葉を浴びせかけ、反応を引きだし、その結果、彼の会話や運動能力が回復の方向に向かっていった。 

 治療の終わりに、夫がエリクソンに、「あなたのことを実の兄弟のように愛しています」と語るのを聞いて、妻は飛び上がるほど驚いたとのことである。

*******************************

 このような手法は、一つ間違えば、患者さんを悪化させる危険性も伴うと思います。 ですが、エリクソンのアプローチは、患者の一人ひとりの気質、資質にあわせることができる天才的な方法論をもっていて、その時々に応じて戦略的に、それを活用できたため、はじめてこのような荒療治ができたのではないかと、私は思います。

 そうでなければ、暗示的な手法は、介入によって、よりおかしなパターンさえ生み出す危険性もあると思います。

 それらを活用できるようになるためには、意識、無意識、そして超意識への理解を、今後、私自身、より深めていく必要性を感じています。

 ほんと学びは一生続くものだなぁ~と感じる今日この頃です♪


人の身体って

 人の身体って
 ちょうど無限大のシンボル(∞)の
 真ん中の接点みたいなものなのかもしれません。
 
 点の前が投影された物質宇宙・世界
 点の後ろが無意識みたいな感じ
 
 最大のポイントは、
 身体という固定点をつくりだすことで
 空間に投影ポイントを置くことになり、
 その次に意識が身体に瞬間の中で出入りする
 って感じかな?

 身体という固定点が作り出されることで
 位置感覚を作り出され
 身体の外側にある世界をリアルにする・・・
 って感じ?

 自分で書いていて、何言っているんだかわかりませんがw

 座標軸は、物質として固定された状態によって生じますが、
 本来、エネルギーのような状態、
 あるいは意識の状態では
 定点がなければ
 四方八方とか、東西南北とか、上とか下とか
 も無意味になるって感じですかね?!

 まぁ、とにかく、目を閉じるだけで、
 可視領域の情報である座標軸が消えてしまうので、
 感覚器官のフィルターなんかを
 取り除いてしまうと

 身体の物語に対して、
 意識が身体から離れることができる・・・

 そうすると、
 タイムライン上に浮かぶイメージが簡単にできたり、
 しちゃうわけですよ・・・

 何を話の中心にするか、はっきりわからないまま

 てきとうに思いついたことを書いただけの日記でしたw

註:タイムライン上で自分の人生を見ている状態は、
  無意識のなかに自分がいる状態に近いとは思います。

  この私の状態は、
  超意識、ハイヤーセルフと同じ状態にいるわけではない
  と私は考えています。

********************************

 無意識が、今、
 私の意識に何を見せたいかを見せ、
 意識は無意識が見せた何かを身体を通して感じとり、
 意識はその空白を埋めようと
 それに意味をもたせようとします。

 それに、各個人が
 どのようにその意味を貼りつけるかについては、
 各個人が過去に学習し体験した認識力によって
 様々な反応が現れることでしょう。

 いずれにしろ、
 意識、無意識、完全な意識の記憶
 あるいは、ホ・オポノポノでいわれている
 ミドルセルフ(顕在意識の心)、
 ロウセルフ(潜在意識の心)、
 ハイセルフ(超意識の心)
 という3つの意識、3つの心の作用に気づくことは
 私たちの人生における
 幸不幸と切り離して考えることはできないと
 私は考えています。

 意識-無意識は、
 ∞のシンボルのような関係性があるかもしれません。
 完全な意識の記憶、あるいはハイセルフは、
 それらのなかでくり広げられているドラマが
 真の私ではないことを知る私
 あるいは、
 それらの二元性の中には存在していないことを知る私
 といってもよいかもしれません。

 または観察される者と観察する者という
 分離の概念について
 その一切が幻想のなかで起きていることを知っている
 存在ということができるかもしれません。

 意識は無意識を統合し、
 自分がどこへ向かおうとしているのか
 気づく必要があるかもしれません。

 また、そのような仕組みに気づかなければ、
 意識は、無意識のドラマの役者を時空のなかで
 延々と演じ続けることになるかもしれません。

 でも、それについてすら
 完全な意識の記憶である超意識は
 いっさい批判せずに、
 私たちが目覚めるのを
 ドラマのなかでも
 それぞれの人生の軌道に沿った方法で
 気づきをもたらしてくれているのかもしれません。

 これら3つの意識が、
 1つの意識あるいは
 1つの心になり、
 スピリットに統合されるまで・・・

********************************

 単なるメモです

 物質宇宙←身体意識→無意識(∞モデル) 

 物質宇宙←身体意識(フィルター)←無意識(投影)
        ↓
 身体意識が物質宇宙から知覚として受け取った印象→無意識
        ↓
      潜在意識
 (両親から引き継がれた反応パターンと
  自分の体に関する人生経験を記憶するタイムライン)
        ↓
      自我イメージによる解釈

 自我イメージを修正または訂正するためには、

 身体意識から意識を分離した状態(ディソシエイト)にし、
 無意識に連合(アソシエイト)する方向づけを行う。

 その後、意識+無意識を通じて、
 完全に目覚めている心の声を聞くように誘導し、
 各人が問題だと感じていることについて
 その人の内なる声による解答を待つ。


超シンプルな教え♪

 もっとも真理を短くした言葉があります♪

 God is(神はある・・・それ以外は実在しない)

 あるいは「Being」-神;本質、本性、存在

 これにHuman をつけると人間
 人だと信じている間・・・
 よぶんなものをとるだけでいいのかもしれませんね~


 では、よぶんなものとは
 人間という言葉のように・・・

 私は人であるとか、
 間をつけくわえたり

 自分という言葉が示しているように
 自らを分割して考えようとする概念のすべてが
 不幸のはじまり・・・


 ただ「ある」
 それだけで、すべてがそこにあり
 拡張しつづける
 Being


 なにかをしなければ、
 生き残れない・・・
 という考えのすべてを
 考えることもなく・・・

 恐れは存在しえない存在の状態・・・

 形を越え、
 私だけがただすべてであることを知る私

 
 よぶんなモノを全部とってしまうと
 そこにもっとも純粋な私だけが残ります・・・
 
 その純粋さだけになると、
 私の影はとりさられ、
 虹のようなすべての色が含まれていながらも
 そのすべてが私だと知っていて
 そのすべてを分けて考えることができないので

 ただそれだけで美しく
 永遠に続くグラデーションと至福の波が
 私のなかで響きつづける・・・

 すべてが光

 それ以外になにもないことを知っている私
 純粋な私とあなた、
 あなたと私はひとつ、

 そして神とよばれる実在とひとつ・・・

 ここは、夢のなかで
 そのことを忘れてはいるけれど
 形を越えた真理-生命の本質においては

 今この瞬間も

 そのまんま・・・


 なんてシンプルで
 美しいありかたなんでしょう・・・
 それだけで、ハッピー、ハッピー♪

 ハッピーしかないので
 それゆえ至福・・・

 私がなにものかを思いだし
 それ以外に
 ここでの自分の考えをつけ足さなければ

 よぶんなものは
 消滅し、
 真実があらわれ

 私たちが真理そのものにもどる・・・

 それだけが私たちの真の望みなのかもしれませんね♪

********************************

 もうひとつ別の見方をしてみますと・・・

 身体はたしかに束縛されてはいますが、

 そのことに焦点をあてず、その奥には、すべてがいつもある・・・

 それに気づくだけでいいのかもしれません♪


人は最終的に・・・(詩)

 人は最終的に
 すべてのこだわりを捨て
 もつという概念を棄て去るのかもしれない・・・

 ただ道(未知)という
 プロセスのなかにいると信じている間は
 ただもつということ自体の無意味さを知るまでは
 それに没頭するのかもしれない・・・

 道の必要性がなくなり
 形を超えた
 不滅のスピリットが私であることを自覚したなら
 持つという形のなかでの儀式は
 自らの真の幸福である至福にとっては不要・・・

 すべてである実在にとっては
 あれこれという区別など
 最初から存在していないのだから・・・

 エゴ-死の儀式とは、
 すべてである存在の一部が、
 ただ自らの真理-真実-を忘れ
 自分の世界を夢見てできた
 砂上の楼閣
 それはアメとムチでできた
 偽りのオアシス・・・蜃気楼

 神の子の死の想像であり夢・・・
 それは存在しない・・・
 意識は決してどんなときも消えることなどない

 ただ忘却の過去を彷徨い歩いている夢を
 自分だと信じているだけなのだから・・・

 だから、何も恐れることはない!

 悪魔とは、悪夢、
 光のなかで自らの真理を忘れて
 暗闇を自分だと錯覚し
 神から自分のお遊びをとがめられることを
 恐れてつくりだした
 逃げ場でしかないのだから・・・

 暗闇のなかでは、
 あたかも罪と罰が存在するようにみえるけれど
 それらはやがて流れ去り
 消え去るものだから・・・

 たとえ今、それが目に見えていたとしても
 やがて、それは消え去っていく
 泡のように・・・

 だからなにも心配しなくていい、
 恐れずに
 無-暗闇を通り抜けていけばいい・・・

 どうして、ひとつである実在が、
 自分自身を責めることがあるというのだろう
 それこそがありえないことなのだから・・・

 偽りの私-悪夢を
 自らの真実-真理-に手渡せばいい!

 形のなかに見える破壊は、
 知覚という映像に付着した感情によって
 引き起こされているかに見える錯覚であり
 そのすべてが一時的な物語であり、
 決して真実ではないのだから!

 私たちは決してそれではないのだから!

 元気でいよう
 根源の気-生命-は、
 疲れなど知らないのだから

 疲れたなら、
 私が誰なのかを
 ただ思い出すだけでいいのさ

 そこに今もある
 私こそが真理であり元気
 なにをしているかにとらわれることのない私なのだから・・・

 形のなかの自分を私だと信じているときは
 気が重かったり軽かったりするだろう・・・

 でも、
 私たちの存在のダンス
 軽やかさは
 形を超えたところにある


 実在である私が
 形が私であるとは
 夢にも思わないし
 夢を見る必要など
 最初からなかったのだから・・・

 いっさいの分断のない実在とは、
 神とは、
 ちがいなど考えることすらないのだから・・・

 分離とは間違いであり、
 間をつくってしまえば、
 そこに次元、時空が見えてきて
 間違いが生まれる・・・

 その瞬間-間-のなかに魔が存在する、
 暗闇、そして身体が自分だと錯覚する夢・・・

 それこそが、
 私たち人間ー自らを人だと信じている間における
 最大の錯覚であり、悪夢・・・

 夢が消え去ったなら、
 闇が消え去ったなら、
 すべての誤解も消え去る・・・

 プロセスという時間の流れ、
 偽りの自分の記憶も消滅し、
 不滅の実在だけが
 真の自己だけが光輝く・・・

 父と子と聖霊という
 三位一体という概念も
 そのときには必要もなくなる・・・

 これが道の終着点
 道そのものが夢であることに気づくとき

 そして時空の終わりの日、
 その瞬間
 悪夢もハッピードリームの必要性もなくなり、

 私たちは無という意識状態から実在-ある-にもどる・・・

 消滅を恐れることなどない・・・
 夢の終わりは、
 旅の必要性の終わり・・・

 あなた-私-はひとつであり、
 神と私たちはひとつになる・・・
 
 すべてを手放すことを恐れなければ・・・

 だから、幻の世界を許し続けよう・・・
 その必要性が終わるときまで・・・

 真実の私を完全に自覚し
 いつもそのなかにあることだけが
 目的だと気づき
 身体の終わりを喜びの中で手放し
 祝福できる日まで・・・

 

 

私という存在の記憶の海のなかで(詩)

 ある日、私と身体という意識が
 輪廻転生という幻想のなかで
 結びつく・・・

 きっと、この現実を信じている
 すべての人が
 ほんとうの私を忘れ
 闇のなかをさまよい続け、
 私を思い出す過程で、
 それを信じるようになるのかもしれない・・・

 それは、
 私にはとてもきゅうくつで
 おなかがすいたり、
 寒かったり、温かかったり、
 眩しかったり、暗かったりしていて、
 いろいろな感覚に満ちている・・・

 そうこうしているうちに、
 目という窓が開き
 何かが私の前に見えてくる・・・

 どうやら、私について
 呼びかけているらしい
 くりかえし、くりかえし
 そう呼ばれているうちに、
 私は私につけられた名前を
 私だと思うようになったようだ・・・

 それ以来、この世界で
 私と私の世界について、
 いろいろなことを学んだ

 言葉という
 とても不自由かつ
 自分のいいたいことの半分も伝えきれない道具や
 この世のなかがどんなふうであり、
 身体として生き延びるために、
 する必要のあることとか、
 身体や心とかは傷つきやすいというようなことを・・・

 でも、ある学びのなかで
 とても不思議なことに気がついた・・・

 身体は、身体だけではなにもできないってこと・・・

 身体のことを忘れても
 私はあるということを・・・

 夢を見ているときには、
 いろいろな次元をさまよっている私がいることを・・・

 深い眠りにおちると、
 この世界を忘れてしまったり、
 自分の人生というものを忘れることができたり、
 時間とか空間と呼ばれ、
 信じられている世界が消えてしまうこととかを・・・

 そのときには、
 私は私の身体という意識をなくしてしまう
 とても安らいでいる・・・

 私のほかには誰もいない・・・

 でも、私が誰なのかを知らない・・・

 眠りは死を装う・・・

 まるで私の身体や人生から離れるひとときだ

 人生がいくら冒険に満ちていたとしても
 私という意識は、
 その安らかな一時を求めるようだ・・・

 あともうひとつ気づいたことがある

 私が私という存在を忘れながらも
 
 すべてであり
 永遠の光であるという
 私があるということを・・・

 その今は
 何を求めることもなく
 喜びだけが洪水のように
 私そのもののなかを流れ続ける・・・

 感覚という
 自分とちがう何かを
 決してわけへだてることもなく

 私はそれであり、
 それは私であり

 私ということを考えることもない

 夢は消え去るが、
 私は永遠にありつづける・・・

 すべてなんだ・・・
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