FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

EP2原稿11-審判(ジャッジ)のまとめ-3

「EP2原稿11-審判(ジャッジ)のまとめ-3」

 前回は、存在(神・スピリット)、存在の心(神の子)、そして聖霊(神と神の子の記憶)という形而上学的な概念について少しご紹介しました。

 私は、このセミナー(エッセンシャル・プロセス2=EP2)を受講してくださっている方に「私の仮説を信じてください」と言っているわけではありません。 むしろ、みなさまご自身という存在について従来とは違った角度から見つめなおす概念を提供することで、「自我とは何か」、「人間存在とは何であるか?」を熟考したり、色々と体験していただくキッカケになればと考えているだけです。

 ですが、ここで私が「なぜ形而上学的な話をする必要があったか!?」について、私自身の「審判(ジャッジ)というテーマと関連させながら説明したいと思います。

 私たちは通常、身体の知覚を通して現実を体験しています。 これは形而下における物質・肉体的な存在、人間としての私たちが体験している領域の現実です。

 この身体を中心に物事をすべて考える領域の中だけで、物理的な問題を解消しようとする方法では常に限界があります。 物質宇宙の法則として、物事は変化し続けるという性質があるからです。

 このため、今この瞬間にも様々な五感による感覚情報に基づき、快・不快・快でも不快でもない原初的な感覚が起こり、次に過去の身体記憶に基づいて、これは良い・悪い・ふつうという思考による判断が行われ続けています。 このような感覚や思考の流れに対して、どのような出来事についても明晰かつ落ちついた態度で臨むことができたなら、人生の流れは抵抗もなく、とてもスムーズに進むことでしょう。 
 
 また本来、私たちが人生の中で遭遇する出来事のすべては、自分の身体を安全かつ快適な状態に保とうとする欲求から、好ましい・悪い・普通というような判断基準が生まれます。 何らかの形を持つ生物や私たち人間は、このようにプログラムされていると思います。

 しかしながら、私たちの身体感覚に基づく知識に基づく判断は、ほとんどの場合、人間にとって都合が良いか悪いかを中心に組み立てられています。 たとえば、地球にとって人間はアリのようなものでしょうが、そのアリのような生き物が化学物質によって自然環境を汚し、地球にとっての身体を
汚すようなことをしたり、その他の生態系の秩序を変えたりしています。 そのように考えてみると、地球にとって人間という存在は、嫌な生き物だと感じているのかもしれません(笑)。

 つまり、私たちの身体によって知覚された出来事に関する判断は、単なる人間のご都合主義的な考えであり、ほとんどの場合、あまりあてにならない判断が多いということです。

 さらに、私は最初に「審判(Judge)」というテーマを扱いましたが、そのような概念的知識のほとんどが私自身の身体記憶と、そこから身勝手に導き出された信じ込み(信念体系)に過ぎないことがわかります。 しかしながら、この私の身体感覚に基づいて作り出された世界観・外側への判断基準は、私の振るまい(行為)に良い意味でも悪い意味でも影響し続けます。 なぜなら、そのような判断基準を基に、私は自分の身体の外側にある世界や他の人たちに接するからです。 そして、そのようないびつな判断あるいは「審判」をしている間は、思考によるエネルギー放出、それにともなう世界への批判・非難、そして行動へと結びつくことになります。
 
 私自身がそのような「審判(ジャッジ)」に満ちた信念体系を、本当の意味で手放すためには、主観と客観によって築かれた相対的な物事の見方を超え、最終的には前述した形而上学的な物事の見方やあり方をできるようになるまで、この「審判」の概念と問題を手放せないかもしれません。

 実際、私は自分自身の心を見つめていると、四六時中、ジャッジに満ちた判断・批判をしていることによく気づきます。

 ここで私自身のためでもありますが、みなさんも身体を持たない意識だけの状態にある、と少しの間、想像してみてください。 もし私たちが身体という形を守る必要がなく、物質宇宙を眺めているような意識だけの状態だったら出来事や物事をどのように見るでしょうか?

 たぶん、そのような意識状態にあるとするなら、興味をそそるものもの、そそらないもの、どうでもよいものというような感情は起こるかもしれませんが、身体がない状態なので、それは映画やテレビを見ているのと同じように、単なる映像の流れを見ている気分になるかもしれません。
 
 このように自分自身の人生や身体から少し離れて観ることを、神経言語プログラミング(NLP)では「ディソシエイト(Dissociate:分離状態)」と呼んでいます。 私たちの心には、自分自身の行動を心の中で観察する立場に視点を置き、観察者の目ですべてを見つめる働きがあります。

 私たちが自分自身つまり自分の身体から離れて人生を見つめるとき、一時的ではありますが、そこから少し離れた状態で客観的に物事を観察することができます。 先ほど、身体を持たない意識でいることを想像して頂きましたが、それも自分自身からディソシエイトする方法と言えます。

 結論として、私自身が囚われていた「審判(Judge)」の信念体系を正直に観察するためには、身体意識や身体に刻まれた記憶に基づく判断の中で、あれこれと問題を解決しようとしたとしても、問題のなかで問題をこねくり回しているだけになりがちだということです。

 そこで、前述した奇跡講座(ア・コース・イン・ミラクルズ)による形而上学的な知識やお釈迦さまの智慧、無意識の領域には自我を見つめるキネシオロジー、NLP、TA(トランザクショナル・アナリシス)等の叡智を結集して、「私は誰か?」を見つめていきます。 そうすることで、少しずつではありますが、自らの心・意識の特性を100%活かせるようになり、問題が起こっている次元から離れて、その解決策を得るアプローチができるようになります。 これが、エッセンシャルプロセス2セミナーの目標でもあります。

****************************************

岩倉カイロプラクティック院 

Copyright 2012IWAKURA CHIRO All Rights Reserved. 
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

あきやんでぇ~す♪

Author:あきやんでぇ~す♪
FC2ブログへようこそ!

最新記事
カテゴリ
最新コメント
FC2ブックマーク
FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

FC2カウンター
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
心と身体
2128位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
整体・カイロプラクティック
80位
アクセスランキングを見る>>
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
心と身体
2128位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
整体・カイロプラクティック
80位
アクセスランキングを見る>>
月別アーカイブ
FC2チャット
Twitter...A

Twitter < > Reload

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。